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ごあいさつ

2009.12.01アルゼンチンへサッカー修行のために渡航、2011.02.02日本に帰国しました。
サッカー留学ではなくほとんど情報も語学力もない中でアルゼンチンへ行き、約1年2ヶ月で手に入れた様々な経験

日本に帰って来てから気づいたたくさんのこと

アルゼンチンに行ったことで僕が成長できたその源をこのブログに残したいと思います。


もう一つのブログは日記のような形で書いていますのでリアルタイムで綴ったアルゼンチンの思い出があります。

アルゼンチン渡航前の姿、アルゼンチンに行った理由の一端も垣間見ることができると思います。

興味のある方は是非遊びに来て下さい。

つっつんのブログ -No,life No,football-





2011年9月18日日曜日

Lección1 人との出会い、つながり

アルゼンチンに行ったからこそ学べたことではないかもしれませんが、一番はじめに書きたかったことです。

初めての海外、初めての一人暮らし、何か当てがあるわけでもなく、ただサッカーをするためにアルゼンチンに行きました。

言葉も分からなく、生活の術もあやふやなぼくを助けてくれたのは現地にいらっしゃった日本人のみなさんや日系人の方々、そしてアルゼンチン人の友達でした。

初めてのアルゼンチン人の友達となったJonathanを紹介してくれたはるなさんはまだぼくが日本にいるころにメールのやりとりをしていた方で、ブエノスアイレスを案内してくれたり、生活の情報を教えてくれました。サッカーのチームや仕事を探す上で「はじめの一歩」の処方箋をしてくれました。

Jonathanは日本語がとても上手なアルゼンチン人で現地の情報、文化、そして日本が大好きな彼はオタクだったのでアニメやゲームなどの話で盛り上がり、日本のイベントにたくさん連れて行ってくれました。特にたくさんの友達と最後に行った盆踊りはとても楽しかったです。彼の助けがなければアルゼンチンでは生活できませんでした。

ぼくが毎週行っていたフットサル場に行くことになったきっかけは、公園で一人でサッカーボールを蹴っていたぼくに話しかけてくれたアメリカ人のHansでした。彼が誘ってくれたおかげでたくさんの友達ができてたくさんの思い出が生まれました。

そのフットサル場ではJuanjooという素晴らしい男性と会うことができました。彼はいつもぼくのことを気にかけてくれて、W杯で日本代表が試合をする日や体調を崩して連絡ができなかったとき、そして日本に帰る帰国当日のお昼にピザを食べたのは忘れることのできない思い出です。

日本からサッカーをしに来たせいいちくんが誘ってくれた一回のフットサルがきっかけで日本人チームを作ってフットサルの大会に参加しました。アルゼンチンでのぼくのプレーは思い入れが強く傲慢なプレーやワガママが多くsebi、しろうさん、むねさん、たかしさんにはご迷惑をおかけしてしまいましたが、かけがえのない経験を得ることができました。ありがとうございます。

こういった人達とのつながりが、昔アルゼンチンの2部や3部でプレーしていた人と引き合わせてくれたり、日亜学院という日系の学校で働くチャンスを与えてくれたり、後に合流する彼女と暮らす家を借りる人を紹介してもらったりしました。


またぼくが最初に拠点としていた場所は日本人観光客のみんなでルームシェアをする宿泊施設で、リビングとキッチンが1つ、寝る部屋が3部屋(1部屋に4人)、リビングと受付兼たばこ部屋がある古いアパートの一室でした。

代わる代わる色んな日本人の観光客の方々が訪れ、土産話を聞かせてもらいながら寝食を共にしました。特に管理人をしていたテツさんには右も左もわからないぼくにアルゼンチンで生活する知恵を教えて頂きました。この場所に訪れる皆さんはみんな個性的で面白く、彼女と遠距離恋愛をしていたぼくは大変助けられました。短い時間の中でたくさんのお知り合いができたので是非日本のどこかで会いたいです。

ちょうど昨年の今頃から3ヶ月間日亜学院で働かせて頂きました。教員免許もなく、ボランティアで少年サッカーの指導を3年間、体育指導のアルバイト3年間、そういったキャリアでしかないぼくを雇って頂き、スペイン語がほとんど分からないぼくをサポートしてくれた日亜学院先生達には大きな感謝でいっぱいです。日亜学院で働いた経験がぼくを新しい未来に踏み出す気づきを与えてくれました。


そして、忘れてはならない彼女と家族のことです。

まずは家族。

日本を出る以前のぼくは家族との結びつきに関してそれほど感じることなく過ごしていたように思います。実家暮らしだったこともあり、当たり前というか、そなりのありがたみを感じている、そんな感覚でした。しかし、アルゼンチンに行く直前や行ってからの家族のサポート、skype越しで話す父、母、妹の姿は自分の家族に対する感謝の源泉を掘り起こすこととなりました。アルゼンチン人が南米気質で家族や友達をものすごく大切にする人たちだったこともぼくに大きく影響を与えたことだと思います。

家族を大切にする。

きっとほとんどの人が頭ではわかっているはずなのに、なかなかそれに気付けなかったり、素直になれなくて、行動にできないことと思います。でも、ちゃんと家族を大切にできたら人生のうちの一つの使命みたいなものが果たされる気がしませんか?かくいうぼくもいつか分かるだろうと思っていたことだったので、それを20代前半のうちに知ることができて幸せに思います。

家族とは帰国して距離が近くなったことで衝突することもありましたが、実家を離れて暮らすようになったぼくを支援してくれています。一緒に暮らしてはいませんが会おうと思えば会えるところに大切な人がいることに有り難みを感じ、家族に感謝の思いを表現していきたいと思っています。


最後は彼女のことについて書きます。

自分の人生を投げ打って付いてきてくれた。
アルゼンチンで僕の生活を支えてくれた。

彼女は僕にとって唯一無二の存在です。

7年以上のお付き合いの中でアルゼンチンという日本から一番離れた国を舞台に、遠距離恋愛が4ヶ月、アルゼンチンの滞在が10ヶ月。僕のワガママを受け入れて彼女はそれだけの時間を過ごしてくれました。アルゼンチンでの生活は家族や友達がいなかったので、逃げ場や頼れるところがなく、全てにおいてお互いに面と向き合うことでしか前進することができませんでした。喜怒哀楽全ての感情が渦巻く、波乱万丈な10ヶ月でしたが、将来の二人にとってかけがえのない大切な時間を過ごすことができました。僕に与えてくれた彼女の愛や行動力は一生の宝物です。



アルゼンチンで感じた人との繋がりは僕の考え方を変え、日本に帰ってからの半年間でたくさんの人とお会いする機会を与えてくれました。誰かと会う、誰かと話すことは新たなパワーを生み、そしてまた次の人との繋がりに結びついていきます。「出会い」は突然で、「つながり」は繋がっていたことに驚くことが多いですが、それは決して偶然ではなく、必然だったのだと後で説明がつくのは本当に不思議なものです。


会って、話して、また会って、新しい出会いも求めてみたらきっと楽しい未来と面白いつながりがあなたを待っていると思います。




みなさんはたくさんの人とつながってますか?
今もつながってますか?